宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

愛と自我について考える

今朝、受け取ったメッセージは

「愛」についての概念だった。

 

仏教的な概念では

「愛」も「苦しみ」のひとつに数えられる。

 

このあたりがなかなか腑に落ちずに

時々考え込んでしまう。

 

もちろん

頭ではよくわかっている。

私の実体験からしても

愛は苦しみのもとになることが多い。

 

それでも

愛について語られるとき

それはとても美しく安らかなものでもある。

 

この矛盾に対して

今日は自分なりの解釈を得た。

 

忘れないように

ブログに残しておこう。

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人間は「自我」を獲得したことで

周りから認められたいという欲求を持つ。

 

「自分」という文字を

改めて眺めながら思う。

 

「私」と同義で使う

この「自分」という言葉は

「すべてから分たれた部分」を

あらわしているのではないか。

 

仏教的な概念を使って

すべてを「空(くう)」とするならば

 

空から縁起により

自ずと分たれたはずの「自分」が

「自我」を獲得したことにより

自らの意志で現れた

絶対的な存在であると信じて疑わない。

 

この「自我」という存在は

己を「絶対的な存在」として

周りにそれを知らしめようとする。

 

自我は

私と私以外とを自ら分断し

自ら孤立を選ぶことで

愛を欲し苦しんでいるのではないか。

 

自ずから(おのずから)分かたれた自分と

自ら(みずから)分かれたと思い込んでいる自我

 

この本質的なズレみたいなものが

様々な感情的問題を引き起こし

人生を厄介にしているのかもしれない。

 

となれば

仏教が「愛は苦しみである」と説くのも

至極納得だ。

 

自我。

 

もしかしたら「エゴ」と表現した方が

ピンとくる人は多いかもしれない。

 

瞑想の後の思考散歩より。

 

この解釈そのものが答えではないし

そもそも答えがある問いでもない。

 

今日のブログは

アウトプットすることで

自分を見つめる備忘録。