宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

梅雨の晴れ間

関東も梅雨入りしたそうですが

今日は朝から良いお天気ですね。

 

やらなければならないことと

やりたいことは

概ね一致しないものなのですが

どこかで繋がっているとも思っています。

 

ここ数日、

過去の傷がヒリヒリして

とてもつらかったのですが

快、不快も含めて

本当に必要なことしか起こらないなと

縁起の妙を感じています。

 

昨日、「歎異抄」に目を通しました。

 

親鸞聖人亡き後に

教団内での異義、異論を嘆き

直弟子とされる人物が編纂したという

言わずと知れた浄土真宗の仏教書です。

 

読んだ、と言うには

まだ理解が浅いので

目を通した程度なのですが

「お念仏」に対して

大きな誤解をしていたことがわかり

本当に目から鱗でした。

 

宗教云々を超えて

多くの人が歎異抄

名著として取り上げていることも

目を通した限りではありますが

なんとなくわかる気がします。

 

私の仏教への入り口は

たまたま密教でした。

 

縁あって

高野山真言宗阿闍梨と出会い

そこから仏教の世界へ入ったので

浄土真宗の教えとは異なる点も多く

どこかで「相反するもの」という

否定的な感覚があったのは事実です。

 

しかし、

歎異抄に目を通してわかったのは

親鸞聖人の教えというのは

大乗仏教における仏の慈悲について

とてもわかりやすく伝えているという点から

けっして「相反するもの」ではなく

紛れもなく仏教なのだということ。

 

もちろん、

宗旨替えするとか

そういうことではなく

真理の扉は沢山あるけれど

極論的な部分として

説いていることや

説こうとしていることは

みんな同じなのだなと

感じた次第です。

 

解釈するのも、伝えるのも、

仏ではなく人間なので

そこがなにかと

難しいところなのかもしれないですね。

 

真宗では三帰依文として

以下のような文言が冒頭に入ります。

 

人身受け難し、今すでに受く

仏法聞き難し、今すでに聞く

この身今生に向かって度せずんば

更に何れの生に向かってかこの身を度せん

大衆もろともに

至心に三宝に帰依し奉るべし

 

他の宗派でもこれ言っているのかな?

あまり印象にないのだけれど

そうだとしたら

私の不勉強としてお許しください。

 

私、この部分、

 

人身受け難し、今すでに受く

仏法聞き難し、今すでに聞く

 

これ、本当にそうだな、

仏教素晴らしい!と。

 

今更ながら

ちょっとした抜け感がありました(笑)

 

それについては、

また後日にでも。

 

それにしても、

いいお天気ですね!!

 

今日はオフなので

スロースタートではありますが

これから少しだけお日様を

浴びてこようと思います。

 

人として生まれたことに感謝して

仏の慈悲に感謝して。

 

貴重な梅雨の晴れ間ということで

この命を存分に愉しんでこようと思います。

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