宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

認識、内観、実践、そして感謝

若い頃、というか

本当につい最近までは

何をするにも憂鬱な気分を選んでは

できない理由を探すのが得意でした

 

今も時々

そんな気分になることもありますが

昔ほどできない理由を

見つけられなくなってしまったので

行動にうつせるようになりましたね

 

学生時代は

毎朝、学校を休む理由を探すのが日課

 

実際、学校をよく休んでいました

 

いじめに遭っていたわけでも

勉強についていけなかったわけでも

先生が苦手だったわけでもなく

行けば行ったで

楽しく1日を過ごすのですが

毎朝、目が覚めると

どこも具合が悪くない自分にガッカリして

仮病を使うこともしばしば

 

習い事もそうです

 

ピアノも水泳も学習塾も

どうすれば休めるかを常に考えていたので

サボってしまうこともよくありました

 

それでも私の両親は

決して私に無理強いしませんでした

 

もちろんいい顔はしなかったし

ひとことふたこと苦言はありましたが

叱られることはありませんでした

 

私は第二次ベビーブームの生まれで

時代的には苛烈な競争社会

 

1つでも上の順位であることや

人よりたくさん所有することが

豊かさの象徴でした

 

お金も、物も、肩書きも、学歴も…

 

世の中は差別や偏見にあふれ

他と比べて正誤や優劣をつけては

順位や勝ち負けで表現されます

 

今で言う

パワハラモラハラ、セクハラなどは

もはや日常茶飯事でしたし

体罰紛いの「指導」や「躾」に対しても

疑問すら感じられないほどの日常でした

 

精神論がまかり通り

やる気と根性は必須アイテム

苦手なことは克服しなければならなかったし

ミスを許されない風潮すらありました

 

そんな時代ですから両親が私のことを

「甘やかしていた」と言われてしまえば

その通りだったのかもしれません

 

しかし今となっては

そんな時代にもかかわらず

忍耐強い子育てをしてくれた両親に

心から感謝しています

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今はいい時代になりました

少なくとも私にとっては、ですが

 

その時代、時代で

特有の問題はあるのだと思いますが

あの頃、良いこととされていたものも

今となっては悪しき習慣だったと

顧みるものもあります

 

そして、

今、良いとされていることも

次の世代では

悪しき習慣となるかもしれない

 

卵が先か、鶏が先か、

どちらもその状態を体験してみなければ

わからないことなのかもしれませんね

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正義感や愛情というものは

とても美しいものです

 

しかしそれも

エゴの判断に基づいているのだと知るとき

私たちは「己の正しさ」や

「己の愛情」について

常に問いかけるようとする姿勢が

必要なのではないかと思うのです

 

分離から共生へ

統一から統合へ

 

どちらが正しいか

どちらが優るか

どちらが勝つか

どちらが得をするか

どちらが安全か

どちらが楽か

 

判断基準は

他にもいろいろあると思うのですが

私たちはどちらか一方を

自分にとって善きものとするとき

それ以外を悪しきものとしがちです

 

しかし

対極がなければ

互いを認識することができないのも

この世の道理でもあります

 

もちろん己の感覚や選択を

否定しろということではありません

 

対極が無ければ

それを選べなかった己を省み

全ての事象に対して

「おかげさま」と感謝することができれば

それでいいのではないかと……

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きれいごとで済まないこともたくさんありますし

許せないこと、受け入れがたいこと、

逃げ出したいこともあるでしょう

 

それでも私たちは

全ての現実を自分で創造していますし

他者を通して己の真実を見ているのです

 

そう思えば

望ましくない現実にも

必ず己の意志が働いているはずです

 

どんなことでも

対極を認識したら己を内観し

どちらかを選んで実践する

そして必ず感謝する

 

このプロセスを強く意識して日々過ごしていると

エゴに振り回されることが減り

高次の意識と繋がりやすくなるように思います

 

高次の意識と繋がると

問題はすでに問題ではなくなり

平和と安寧が常にあることに気付けるはずです

 

よかったら

試してみてくださいね