宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

薬を使うこと

寝違えて首を痛めてしまい

2日ほど様子を見ていたのですが

首だけの痛みにとどまらず

頭がズキズキ痛くなってきたので

さすがに耐えられず薬を飲みました。

f:id:Kougetsu:20190927072806j:image

あ、薬を飲まない主義とか

西洋医学に否定的な立場とか

そういうのではありません。

 

辛いときには病院も薬も

積極的に利用する方なのですが

こんな時に必ず思うのは

「私って生きることに貪欲だな」

ということです。

 

痛みを「痛みという現象」ではなく

「苦しみ」として捉えているから

なんとしてもそこから逃れようとする。

 

明日、目が覚めなくても

悔いの残らない生き方をしようとか

生まれたからには必ず死ぬのだとか

日頃はそういう風に思っていても

やはり死は相当怖いんでしょうね。

 

これは動物的な本能の部分なのでしょうか?

 

薬は程なく私の痛みを取り除き

穏やかな時間を与えてくれました。

適切な用量と用法さえ守れば

薬は抜苦与楽を体現してくれます。

 

しかしこの抜苦与楽、

一歩間違えると

大変な苦しみの元にもなりかねません。

 

肉体の抜苦与楽だけを求めていくと

精神や魂はその逆の作用に悩まされることに…。

 

結果、楽を与えていたはずの肉体までもが

苦しみを得ることになっていくのです。

 

副作用が全く無い薬は無いとも言います。

薬に頼らないのが一番なのかもしれませんが

使うときには副作用の部分も考慮して

適切な使い方をしたいものですね。

f:id:Kougetsu:20190927184546j:image

幼少期は憂鬱になりがちな子供でした。

死に対する憧れは強い方だったと思います。

 

なぜこの世に生まれてしまったのか、

こんな虚しいことは早く終わりにしたい、

思い通りにならない問題に直面すると

とかく深刻になるめんどくさい子供でした。

 

それでも

半世紀近く生きてこられたのは

「脳内麻薬」のお陰かなと思っています。

 

いわゆる脳の報酬系であるとか

快楽を司る部分の作用が

強かったんでしょうね(笑)

 

人間の肉体というのは

本当によくできているなぁと

感心しきりです。

 

脳が出す「薬」というのは

生命を維持するという点で

本当によく効く特効薬だと思います。

 

しかし、一方で

その作用によって

苦しみを感じるのことも事実です。

 

この世は全て幻想だとわかっていても

薬の効果があまりにも絶大だから

全てに実体があるように感じてしまいます。

 

あたかも私という特別な「個」が

存在しているかのように感じてしまうのです。

 

自我があることにより

己の正義を貫こうとしますから

外側に敵と味方をつくります。

 

敵に対しては

排他的になったり攻撃的になったり

味方に対しては

愛着したり依存したりで

苦しみは絶えることがありません。

 

また、

過剰に快楽を求めた結果、

それがさらに苦しみを強めてしまうことも。

 

大好きなスィーツを食べ過ぎて

ダイエットに苦しんでみたり

お酒に溺れて人生を台無しにしてみたり

お金に目が眩んで盗みを働いてみたり…。

 

生命を維持しようとする

脳の懸命な作用ではありますが

私たちの思考や行動というのは

それに翻弄されているとも言えます。

 

どんな薬も効果を発揮させるには

適切な用量と用法を守って使用するように

脳内麻薬も適切に使えたらいいですよね。

 

生命を維持するという

本来の役目だけではなく

副作用的な部分が多いと感じるならば

その使い方を

見直してみるといいかもしれません。

 

方法はいろいろありますが

私の経験上、

運動と瞑想というのは

手軽でありながらも

とても優れたツールだなと感じています。

 

悩んだら、

とにかく身体を動かす。

又は静かに座って頭を休める。

 

特に瞑想は

怪我や病気などで運動ができない時でも

道具や場所など運動できる環境が無い時でも

自分1人が座るスペースと少しの時間さえあれば

いつでもできるのでおすすめです。

f:id:Kougetsu:20190928084705j:image

運動と瞑想の効果については

書きはじめると長くなるので

また別の機会にでも

ゆっくりお話したいと思います。