宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

五十知命

2022年の初ブログです。

 

ずいぶん遅い

「書き初め」になってしまいました。

 

今年もよろしくお願いいたします。

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いよいよ待ちに待った50代になりました。

 

その記念すべき今年の誕生日

私の住む千葉県は

警報レベルの雪が降りました(笑)

 

予定の変更は避けられず

不便を強いられることも多々ありましたが

北海道出身の私にとっては

雪景色に己のルーツを感じる

幸先の良い

50代のスタートだったと思います。

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有名な孔子の『論語』には

このような記述があります。

 

子曰わく、

吾十有五にして学に志し、

三十にして立ち、

四十にして惑わず、

五十にして天命を知る、

六十にして耳従う、

七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず

 

口語訳によると、

以下ようになるそうです。

 

孔子はこのように言われた

私は15歳で学問に志し(志学)、

30代になって独立した立場を持ち(而立)、

40代になってあれこれと迷わず(不惑)、

50代になって天命をわきまえ(知命)、

60代になって人の言葉が素直に聞かれ(耳順)、

70代になると思うままにふるまっても

道をはずれないようになった(従心

 

論語

学生時代に習ったはずなのですが

すっかり忘れてしまったので

インターネットで調べました(笑)

 

便利な世の中になりましたね。

 

また、調べていくうちに

このような言葉にも出会いました。

 

行年五十にして四十九年の非を知り、

六十にして六十化す

 

蘧白玉(きょはくぎょく)という

孔子と同時代に生きた

名大夫のお言葉だそうです。


蘧白玉はいくつになっても

自分自身の行いを省み身を正し続け

たとえ老年となっても己の過去の非を改め

新しい自分へと変え続ける(=化す)のだと

このような言葉で表現されたのだとか。

 

人は50年も生きてくると

その人生経験から

ある程度

己の人生の結論に達してきます。

 

だからこそ

己の天命を知り

分をわきまえるようになる。

 

しかしそれと同時に

自身の「正しさ」に固執してしまい

変化を嫌うようにもなってきます。

 

生きるということは

常に新たにやり直す事であって

50になってやり直し、

60になればなったで

またやり直し変化する。

 

それが

行年五十にして四十九年の非を知り、

六十にして六十化す、ということです。

 

なるほど。

 

その意識があれば

孔子の語った次の10年、

「六十耳順」にも繋がりますね。

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年齢を重ねることを

ネガティブに捉えている人は

意外と多いものです。

 

アンチエイジングに力を入れたり

若々しい見た目や振る舞いを意識したり

老害などという言葉で年配者を揶揄したり。

 

誰しもが辿り着く場所に

何故そんなにも

ネガティブなイメージを持つのでしょうか。

 

もちろん肉体は物質なので

諸々劣化し衰えてくることは否めませんが

それを「維持したい」とか

「過去の状態に戻したい」という

エゴを手放しさえすれば

若い頃には得られなかった豊かさが

どんどん入ってくるように思います。

 

「変化を嫌う」ことは

循環する「命の仕組み」に逆らうことであり

やはり自然ではありませんからね。

 

と、いうことで

2022年の初ブログは

先人のありがたいお言葉を

ご紹介させていただきました。

 

新しい10年は

先人の知恵にあやかり

己の天命をわきまえ

変化を喜びながら

楽しんでいこうと思います!