蛹化のとき
今月は久しぶりに
天候の影響も相まって
身体の痛みと向き合っています
若い頃に
運動していて怪我をした箇所や
交通事故に遭って傷めた箇所が
その記憶を呼び覚ますかのように
痛むことがありますね
傷や病の「治癒」というのは
決して元通りになるのではなく
新たな在り方への変容です
それは物理的な怪我や病気に限らず
記憶や感情体験においても
同じことが言えるように思います
それを知ってしまったら
もう
それを知る前の自分には戻れない
忘れることはできたとしても
見てみぬふりはできたとしても
無いものにはできないし
消し去ることもできない
例えば
あなたと出逢う前の私には
もう二度と戻れないように
それが
どんな体験であるにせよ
それを知る前の私には
二度と戻ることはないのです
元に戻ろうとすることは
流れに逆らって泳ぐようなものです
決して戻れないならば
力尽きて動けなくなる前に
流れに沿って泳ぎを変えることが
苦しみから解放される
唯一の方法なのかもしれません
痛みは身体からのサインです
私の中で治癒を望んでいる何かが
蛹化して変容のときを待っているのです
それはまるで
幼虫が蛹から蝶になるように
他力の縁起により
過去の痛みが蛹化して
その痛みや傷を癒やしながら
新たな己へと羽化して飛び立つときを
待っているようなイメージです
身体の痛みと向き合いながら
私もいくつかの慣れたやり方を手放し
新しい在り方へと
シフトするときを迎えています
命というのは
常に変化変容する定めなのでしょうね
蛹化したら
もう元に戻ることはありません
同じ痛みや苦しみを
二度と繰り返さないためにも
元に戻ろうと抗わず
己の変容を恐れず受け入れ
新しい在り方へシフトしようと思います