宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

幻の行方

母が入院してから

間もなく4ヶ月が経とうとしています。

 

ICUで年越しをする母。

母の作った正月料理を食べないお正月は

おそらく13年振りのことです。

 

今年のお正月に

母が用意してくれた料理の写真が

スマートフォンに残っていました。

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千葉に来てからは

毎年、食べきれないくらい

正月料理を作っていた母ですが

今は食べることすらできない状況です。

 

当たり前だと思っていた光景は

実は有り難い光景だったということに

改めて気付かされます。

 

そう。

 

当たり前のことなんて

実はひとつもないんです。

 

全ては縁起という奇跡の巡り合わせにより

顕現している幻想なのですから…。

 

どんな瞬間も二度と同じはない。

一期一会なんです。

 

はじまりがあれば

終わりがあるように

どんな出会いにも

必ず別れがあるのです。

 

そもそも全てが一期一会である以上、

今ここに全てがあるのだということに

いかに気付いていくことができるのか。

 

欠乏感にとらわれてしまうと

それをなんとか埋めようとするので

相当苦しいですね。

 

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今日、道端で見かけた花が

あまりにも美しく感じて

思わず写真を撮りました。

 

この花は私との縁起により

私の世界に「美しい花」として

かつて顕現した花です。

 

今、写真として目に映る花と

私があのとき出会った花は

同じだけれど違う花だということは

容易に理解できるんですけれどね。

 

消えてしまった幻の行方は

いったい何処にあるのでしょうか。

 

凡夫の私には

今ここに全てある、と言うだけの

確信は正直ありません。

 

しかし、

今この瞬間を静かに感じているとき

苦しみの淵から離れている自分に

気付くことはできます。

 

苦しみの淵から離れているときというのは

問題は既に問題ではなくなっています。

 

かつての欠乏感は既に幻想となり

今この瞬間は満たされているのですから

結果的に今ここに全てあるのではないかと

解釈しています。

 

色即是空 空即是色

 

今この瞬間は一期一会の幻想でありながら

全ては今ここにあるということ。

 

だから

幻の行方を追って

苦しむ必要は無いのです。