宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

友の存在

昨夜、母が救急車で搬送されるという

非常事態に直面しました。

 

幸いなことに

適切な処置の結果、

そのまま入院することはなく

帰宅できました。

 

年齢も高齢なので

しばらくは介護を必要としますが

今のところ命に別状はありません。

 

こんなときは

自分の無力を感じますが

嘆いていても仕方ないので

できることをひとつずつ丁寧に

取り組んでいくしかないですね。

 

私が小学生の頃には

既に両親共に病気により

身体障害者認定を受けていました。

 

救急車に乗ることも

大きな病院で付き添いをすることも

子供の頃から幾度か経験していましたが

私が21歳のとき

母の2度目の手術で

手術直後の母に面会するために

ICUへはじめて入れてもらいました。

 

当時、その病院では

たとえ親族でも16歳未満の場合、

ICUでの面会はできなかったので

手術直後の母を見るのは

はじめての経験でした。

 

まだ、

麻酔から覚めていない状態の母を前に

医師から簡単な説明を受けたと思うのですが…

 

あろうことか、

私はその場で卒倒してしまったんです。

 

術後の患者さんやICUの雰囲気などは

テレビのドキュメンタリー番組などで

見たことのある光景だったし

そんなに特別驚くような

光景ではなかったはずですが

気が付いた時には

別室の簡易ベットに

寝かされていました(苦笑)

 

目覚めた時、

目の前にいた看護師さんに

「お母さん頑張ってるのに

        あなたがしっかりしないでどうするの!」

…と厳しいお言葉をいただいたことは

今でも記憶に新しいです。

 

それ以来、

母の付き添いで病院に行くと

私が体調不良になるという

おかしなパターンが身についてしまいました。

 

今回も例に漏れず。

 

急患処置室の前で

意識が遠のくのを感じて

「あぁ、またか…」と。

 

こんなときこそ

マインドフルになることが有効なので

呼吸に集中しながら

夫の到着を待っていると

来るはずのない友人の姿が

目に飛び込んできました。

 

昨日はオフで

その友人が自宅に遊びに来ていたのです。

 

母の容体悪化の連絡が

ホームヘルパーさんから入ったとき

ちょうど帰り支度をしているところだったので

とにかく着の身着のまま

帰宅する友人の車に乗せてもらい

母のところへ送ってもらいました。

 

私が救急車に乗るのを見届けて

友人は帰宅したはずだったのですが、

まさか、救急車の後を追って

病院にまで来てくれるとは…!

 

そのまま夫が到着するまで

待合室で一緒に過ごしてくださいました。

 

そのおかげで

私は落ち着きを取り戻し

無事に母を連れて帰ることができました。

 

人は1人では生きていません。

 

もちろん、

世界は人の数だけありますが

それは縁起によって顕現するものです。

 

私の世界は私が創造していますが

私の因だけでは果は生じません。

 

縁と因が揃うから果が生じるのです。

 

全ては縁起の網の目の中なのです。

 

かけがえのない友の存在、

大切な家族の存在、

たくさんのご縁の中で

私という命が顕現しているということ。

 

改めて学ばせてもらいました。

 

ありがたいことです。

 

ご縁に感謝ですね。

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