宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

イライラの種

プライベートで使用している某SNSでは

「過去のこの日」というのが

表示される機能があって

 

去年の今頃は

こんなことしてたのか、とか

○年前はこんなこと書いてたか、とか

意図せずして過去の自分に遭遇します。

 

会社勤めをしていた頃は

とにかくイライラしていて

怒りや嘆きの投稿が多かったですね。

 

そのときはとにかく必死で

とても辛かったのだと思います。

 

しかし、

過ぎ去ってしまえば

もうその感覚には戻れなくて

「大変だったんだなぁ」と

どこか他人事です。

 

それにしても

あの頃、どうしてそんなに

辛かったのかと考えてみると

仕事の内容とか会社の待遇とか

そんなことではなく

 

「人間関係」

 

この一言に尽きると気付きました。

 

どんなことでも、

最後は「人」ですから

やっていることの内容や

作業そのものはさほど重要ではなく

誰とどんなコミュニケーションにより

その現象を見ているのかというのが

大きなポイントだったのかもしれません。

 

更には

 

苦手な奴や嫌な奴ほど

私の欲求をあらわにしますね。

 

結局、

その欲求を認めたくないから

相手に投影して

憤慨しているに過ぎないので…。

 

今は

 

仕事で刺激されない分、

家族が刺激してくれます。

 

縁起の妙ですね。

 

そうやって自分の欲求を

目を背けることなく

ひとつずつ見ていくと

意外にも欲しなくてもいいものが

大多数を占めていることにも気付きます。

 

本当に必要なことっていうのは

ものすごく少ないということです。

 

必要なこと以外は

どんなに得たところで

上限がなく満たされないですし

仮に一時的に満たされても

すぐにもっと欲しくなるので

労多く益少ないイメージです。

 

そうやって、

少しずつ明らかにしていけば

たとえそれがイライラの種であったとしても

育み方しだいでは綺麗な花を咲かせ

豊かな実りをもたらすのかもしれませんね。

 

足るを知るというのは

単に欲を否定して

ひたすら我慢をすることではなく

欲の正体を明らかにすることで

実現するのではないかと思う

今日この頃です。

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