宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

KAWAZOO

母のことがあるので

遠出は控えていたのですが

先週、思い切ってドライブへ。 

 

自分を満たすことも必要!という

友人の助言もあり。

 

いや、本当にその通りですよね。

枯れたところからは何も出ませんから。

 

カエル好きな私のために

夫が面白い施設に連れて行ってくれました。

↓↓↓↓

http://www.kawazoo.jp

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体感型…ですが、

カエルに触る事はできません。

カエルは繊細な生き物で

人間の体温くらいでも

火傷してしまうものもいるとか。

 

館内は写真撮影OKなので

可愛い姿を撮影してきました。

 

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凛々しい表情が素敵です。

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仲良く並んでいますね。

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ヤドクガエルは

いろんな種類がいるんですね!

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私は金ピカがお気に入り。

 

やはり本物は綺麗で魅力的ですから

部屋に飾りたい衝動にかられますが

彼らを飼育するのは大変そうです。

 

飼育部屋みたいなところも

一部公開しているのですが

餌が問題ですね、私の場合は。

 

当たり前ですが

生態系というのは

絶妙にバランスがとれています。

 

可愛いからといっても

そのごく一部だけを切り取って

カエルだけを人間の都合にあわせて

飼育することはできませんよね。

 

生態系に限らず

全ての存在は

互いに依存し合っています。

 

ここで言う依存は

共生という意味で捉えてください。

 

お陰様とか

縁起の網の目で繋がっているとか

そう言ってもいいかもしれませんね。

 

どれをとっても

それ単体で存在することは

不可能だということです。

 

目先の欲求に囚われて

一喜一憂しているとしたら

もっと大きな視点に

切り替えてみるといいかもしれません。

 

私が命を生きているのではなく

命が私を生きているという視点から

目の前の問題を見つめ直してみると

実は全てが満たされていて

何の問題もないということに

気がついたりするものです。

 

本来の奉仕とは

自己犠牲を伴わないものだと

私は信じて疑いません。

 

自分の問題を

ひとつずつ見直して解消していくことが

周りの人の問題も解消していきます。

 

直接的であれ、間接的であれ、

誰かのために

自分を犠牲にする必要はないのです。

 

自己満足は時として

自己犠牲にすり替わっていることがあります。

 

私は

母の面会に行くことで

自己満足しているところがありました。

 

母のためにと

必死に頑張っている自分に酔いしれて

無理を押して面会に行く日もありました。

 

母に会いたいから面会に行くのではなく

毎日面会することが

自分に課した掟のようなっていました。

 

もちろん

余裕があればそれでもいいのでしょうが

心も身体も疲れ切った状態では本末転倒です。

 

自分を優先することや

気分転換に対する罪悪感が

どれほど私を苦しめていたことか。

 

実際、気分転換したところで

何の問題も起こりませんでした。

 

おおいなる連鎖の網の目の中の

ごく一部だけ切り取って

それを都合よく維持しようと

躍起になったところで

いずれは破綻してしまうことでしょう。

 

自然の生態系が

多くの命を共生させることで

絶妙なバランスを保っているように。

 

もっと命の選択に任せていけばいい。

私の選択は私を制限するけれど

命の選択は私を解放してくれるから。

 

改めてそんなことを思った

小旅行でした。