宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

他界への旅立ち

フラダンスをはじめて10ヶ月が経ちました。

 

踊りをはじめてから

あらためて痛感したことがあります。

 

肉体っていうのは

宇宙からの借りものなんだなぁ、

ということ(笑)

 

昨日のブログじゃないけれど

この肉体は私に与えられた

命の乗りものであって

私という概念の一部ではあれども

私個人そのものでもなければ、

私個人の所有物でもないんだなぁと。

 

この命を乗せるために

宇宙が用意してくれた一点モノ、

なんとなくそんな気がしてなりません。

 

何年もかけて

そこそこ乗りこなせてはいるけれど

非日常な動きに対しては

まったく思い通りに動かせません。

 

要するに、

踊りが下手、ということです(笑)

 

車の運転と同じで

身体を動かすことも

「センス」が問われるものですね。

 

さて、

 

ここからは私個人の

概念や死生観を書きます。

 

この命を私足らしめている要素は

3つあるのだと信じています。

 

精神(spirit)、魂(soul)、肉体(body)、

この3つの要素が揃ったとき

命(life)に私(self)という概念が生まれるのだ、と。

 

宇宙(universe)から命(life)をあずかるときは

先に挙げた3つの要素が不可欠で

その全ても宇宙から与えられるということ。

 

あずかる、与えられる、というと

宇宙を神格化している感じにもなるので

それらの縁起により顕現する、

空が色になる、と言っても

いいのかもしれません。

 

なので、

このどれか一つでも欠けたら

私という存在は維持できなくなるし

命の乗りものである

肉体が機能しなくなり、

維持できなくなってしまった時点で

命を宇宙へ還すのだろうなぁ、と。

 

又は、

色が空になるんだろうなぁ、

でもいいかもしれませんね。

 

そんな風にとらえています。

 

この手の話をする場合

教育、信仰、学問、宗教など

人それぞれ

拠り所にしているものが違うので

解釈や表現には幅があります。

 

なので、

私の概念や言葉の使い方が

正しいのか間違えているのかは

正直なところわかりませんが

今のところは

そんな感覚で過ごしています。

 

で、フラの話にちょっと戻しますね。

 

今、Ka Nohona Pili Kai という曲を

練習しています。

 

これは日本でも有名な曲です。

 

涙そうそう」のハワイ語版と言えば

あぁ!知ってる!!となる人も多いはず。

 

言うまでもなく、

これは別れの悲しい曲ですが

ハワイ語になると

悲しさや寂しさの表現よりも

美しい愛の思い出や

感謝や幸せなんかを表現しています。

 

「去りゆく思い出は美しい」

 

…みたいな表現があって

あぁ、これは本当にそうだなと。

 

生死に限定したことではなく

人は日々、出逢いと別れを繰り返しています。

 

諸々の別れがつらかったり

悲しかったりするのは

それがまだ

過去になっていないからだと思います。

 

実際には過去のことなのに

自らがその思いに留まることで

失った今を感じ続けているから

つらく、悲しいのではないかな、と。

 

そして、

そこに留まり続ける私を

解放することができるのも私です。

 

とはいえ、

人間には恒常性があるので

失ったことによる欠乏感から抜け出すのは

至難の技であることは言うまでもありません。

 

つらさを感じたり

悲しみを感じること自体は

決して悪いことではないので

その欠乏感を存分に味わい

しっかり感じきった後は

今ここにあるものを慈しむことに集中する。

 

これが過去をきちんと過去にする

一番の近道かもしれません。

 

マインドフルに生きるとは

過去をしっかり過去にすることに

他ならないのかもしれませんね。

 

過去=他界

 

既に私の世界には無いのだから

それは他界したと言っても

言い過ぎではないかもしれません。

 

他界という言葉が

死を連想する言葉なので

好き嫌いはあると思いますが

ある意味、

私はそんな感覚で生きているから

全ては一期一会というのも腑に落ちていて。

 

そして、

生死にかかわらず

他界したものの思い出というのは

不思議とよいことばかりが残るものです。

 

過去のつらい経験を手放せず

苦しい思いをしているのであれば

生死を問わず自らの概念の中で

それらが既に他界したものとして

感謝してあの世へ旅立たせてみる。

 

もちろん、

相当な時間を必要とすることもありますが

今この瞬間を慈しむことは

他界した諸々への供養ともなります。

 

他界した全ては消滅してしまったのではなく

宇宙に還っただけなのだから。

 

私と同じ命の源へと還っただけで

いつでもそこにあるのだから。

 

ちなみに、私の場合、

他界した諸々に対しては

激しく情動が動かされることがありません。

 

それらを思い出したとき

ほんの少しでも

ネガティブな気持ちがわいてきたり

感情が泡立つ感覚があるならば

それはまだ、

今にここにあるサインととらえています。

 

もし、今、あなたも、

このサインを感じているならば、

その思いを手放し

他界へと旅立たせてみませんか。

 

他界への旅立ちとは

その存在を自由にするだけではなく

自分自身が自由になることに他なりません。

 

全ては同じ源に還ります。

ずっと繋がっているから大丈夫。

 

マインドフルに生きることで

今この瞬間を慈しむことにより

全ての過去は成長の糧へと変容するのです。

 

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