宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

しあわせはどこに

よく言われていることですが

幸せって喜怒哀楽のように

自分が感じることだから

どこか外側にあるのではなく

自分の中にあるのだと思います。

 

刺激に対する反応、と

言ってもいいのかもしれません。

 

実際、

幸せを感じているときって

身体の感覚が伴っていたりもします。

 

私の場合だと

身体があたたまる感じがしたり

胸のあたりがじわ〜っとしたり。

 

感覚は人それぞれなので

自分の「幸せ体感」が

どんな感じかを知っておくだけでも

幸せを感じやすくなるかもしれません。

 

身体の反応を

「幸せセンサー」のように

使うってことですね。

 

しあわせ、と言えば

中島みゆきさんの「糸」という

有名な曲がありますが

この歌詞では「しあわせ」を

「仕合せ」と書いていますね。

 

いやぁ、奥が深いなぁ!と(笑)

 

「仕合せ」は「めぐりあわせ」という意味だそうで

仕合せる、仕合わす、のように動詞としても使います。

なのでポジティブな意味だけの「幸せ」とは

使い方も意味も異なるということになります。

 

めぐりあわせ=運、と考えると、

 

運が良かったときは幸せを感じるけれど

運が悪かったときは

幸せを感じないことがほとんどです。

 

だとしたら、

「仕合せ」は原因で

「幸せ」は結果とも言えますね。

 

「仕合せ」は刺激で

「幸せ」は反応、ってのもありかな。

 

昨日は元職場の後輩に招待されて

サッポロ千葉ビール園へ行ってきました。

 

美味しいジンギスカンとビール、

そして気の置けない仲間との楽しい会話。

 

とても幸せな時間を過ごしました。

 

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彼等と私は

同じ会社で仕合せたわけですね。

 

いいときも、そうじゃないときも、

共に過ごした時間の積み重ねが

目に見えないきずなとなって

今、ここに存在しています。

 

めぐり逢えたことに

ただただ感謝しかありません。

 

どんなご縁にしても

それは幸せの種です。

 

育んで花を咲かせるのも

実りの収穫をするのも

芽を出すことなくおわらせるのも

枯れて土に還すのも

全て自分次第なんだなと思います。

 

美しい花を見たければ

豊かな実りを得たければ

そのように育むだけのことです。

 

それでも

芽がでなかったり

枯れてしまうこともあるけれど

そんなときは

そういう仕合せだったのだと

受け入れることも大切です。

 

善いも悪いもなく

そういう仕合せだったのだ、と。

 

私があの職場に仕合せたことで

得ることができた幸せの種は

今、美しい花を咲かせ、

豊かな実りとなって

私の幸せとなりました。

 

つきなみだけれど

一期一会を大切にって

そういうことなのかもしれませんね。

 

どんな種も幸せの種だから。

 

全てのご縁にありがとう、なのです。

 

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