余白を綴る
連絡手段として
LINEやSNSのDMなど
便利なツールで
やりとりすることが増えました。
Eメールだと
それなりに文章をまとめるけれど
LINEやメッセンジャーは
どこか会話的なやりとりですね。
てまひまかけずとも
スタンプひとつで済むこともあり
レスポンスよくやりとりするには
もってこいのツールだと思います。
そんな時代ではありますが
プライベートの連絡ツールとして
今でもEメールを使って
やりとりさせてもらっている方が
何人かいらっしゃいます。
そんな、
数少ないやりとりの中ですが
ふと、
Eメールを使う時というのは
単なる連絡事項だけではなく
己の気持ちを綴ることが
多いということに気がつきました。
LINEやメッセンジャーは
「業務連絡」の要素が強いので
内容は簡潔にと心がけていますが
Eメールは毎回長文になりながちです。
それでも
まるで往復書簡のように
情感あふれる
メールのやりとりをしていると
そこはかとなく感じる
あたたかさのようなものに癒されます。
そういえば
手紙を書くことも
ずいぶん減りました。
否、
ほとんど無くなりました。
最後に手紙を書いたのは
いったい、いつだったろう?と
思い返しても思い出せないくらいです。
シンプルな生き様はとても美しいけれど
無駄を省くことや楽をすること、
効率を重視することばかりやっていると
この肉体があるからこそ感じられるものが
どんどん失われていくようにも思えます。
便利になればなるほど
楽をすればするほど
私という命はいったい何のために
この世に生まれてきたのかと…。
そんなことに思いを馳せる日々です。
会社員時代には
想像もつかなかったような
喜びや豊かさや楽しさが
かつては無駄と感じていたことや
意味のないこと
非効率と感じていたことの中に
ひっそりと潜んでいるので
退職してからは
新鮮な発見の毎日です。
めんどくさい、
意味がない、
無駄だ、
そんな言葉で切り捨ててきた
たくさんの余白たち。
一見すると
何の役にも立たぬような
その余白の中にこそ
かつての私が
綴りたかった思いや
感じたかった手触りや
必死になって探していたものが
あったのかもしれません。
仕事は大好きでしたし
業務を効率化することに対しては
とても意欲的に取り組んできましたし
それなりに成果もあげてきましたが
あの頃、
必死に追い求めていたゴールそのものを
見直して手放した自分を
今は純粋に褒めてあげたい気分です。
人と直接会って触れ合うことが
制限される日々が続いていますね。
ありがたいことに
私はこの仕事をさせてもらうことで
多くの方と出会い
直接お話をさせてもらっています。
プライベートでは
狭い範囲でしか活動していない私も
他の誰かの人生に触れるときには
確かにその世界で生かされている。
本当にありがたい話です。
どんな仕事でもそうなのですが
それが誰かの役に立っているからこそ
成り立っているという現実があります。
もちろん、
仕事というのは
「収入を得るため」や
「生活を維持するため」
という側面もありますが
それはあくまでも側面のひとつであり
全てではありませんよね。
ひとつひとつの作業の先には
必ず誰かの喜びや感謝がある。
もう少し広い範囲で言えば
ひとつひとつの行為、行動は
見える、見えないにかかわらず
必ず誰かへと影響しているのです。
私の「働き」というのは
どんな些細なことであれ
必ず人の役に立っているんですね。
また、
私がこうやって
何不自由なく生活できているのは
誰かの「働き」があってこそです。
あなたの「働き」があるからこそ
私も含め、どこかの誰かが
あなたの役立ちに助けられ
日々「おかげさま」と感謝をしている。
そう思えば
めんどくさい、
意味がない、
無駄だ、
そんな言葉を使えるほど
仕事や働くことというのは
単純なものでは無いようにも思います。
そもそも現象や出来事に
はじめから「意味」はありません。
それらに意味を持たせているのは
私たちの意識や知性です。
自分が興味を持てないことに
「意味がない」と感じるのは
単に己の意識や知性が
貧困だからかもしれません。
決して
自己犠牲的になれ!というような
精神論を問うているのではありませんが
あなたが求められていることに対して
めんどくさい、と思うなら
意味がない、と思うなら
無駄だ、と思うなら
その先にいるまだ見ぬ誰かへ
想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
たとえ
特定の誰かが思い浮かばなくても
あなたにとって
めんどくさいことも
意味のないことも
無駄なことも
誰かにとっては大きな意味を持つ
とても大切なことかもしれません。
巡り巡って
自分の顔が見えてくるかもしれませんよ。
私もあなたも
決してひとりでは生きていない
ひとりでは
存在することができないというのは
この世界が「善」や「愛」で
成り立っているからだと思うのです。
もちろん、
そんな綺麗事では
片付けられないような出来事が
世の中のそこかしこに溢れていますが
だからこそ思い出してほしいのです。
この世界が
「善」や「愛」で成り立っていて
私たちは誰ひとりとして
孤独ではないのだということを。
独り勝ちの世界が本望なのでしょうか?
我欲を満たそうとすればするほど
失われていくものがあります。
生きているのは
誰かのおかげさまと感謝して
日々過ごせたら気持ち良いですね。