宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

命のリレー

今日は誕生日でした。

 

各種SNSには

誕生日が表示されるので

多くの方から

お祝いのメッセージをいただき

大変恐縮しております。

 

素直に嬉しい反面、

日頃の不義理に恥じいる思いです。

 

この場を借りて

皆さまのご厚情に

心より御礼申し上げます。

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毎年、歳を重ねる毎に

頭に浮かぶイメージがあります。

 

それは「キャンドルの炎」。

 

誕生日には

毎年1本、新しいキャンドルに

命の炎を灯すビジョンが浮かびます。

 

それと同時に

1年間、命の炎を絶やすことのなかった

1本のキャンドルが燃え尽きて

静かに煙がたちのぼる

そんなビジョンも浮かびます。

 

無事に新しいキャンドルへ

命の炎を灯すことができたのは

私1人の力ではなかったのだと

しみじみと噛み締める瞬間です。

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言葉のうえで「命のリレー」と言うと

親から子へ、子から孫へ…のような

種の存続というイメージにもなりますが

私は人の一生というのは

常に「命のリレー」を繰り返すことで

日々生かされているのだと感じています。

 

命とは単純に

肉体の生死という話ではなく

日々受け継がれているものだと

つくづく思うのです。

 

朝、目が覚めて

「おはよう」と誰かに言う。

それを受けた相手が

「おはよう」と私に応えてくれる。

 

これも「命のリレー」の瞬間です。

 

そうやって

いくつもいくつも

あなたの命が誰かに命のバトンを渡し

誰かの命があなたの命のバトンを受け取る。

誰かの命があなたに命のバトンを渡し

あなたの命が誰かの命のバトンを受け取る。

 

命のリレーを繋いで、繋いで、

あなたの、誰かの、

そして、

私の人生が創造されていく。

 

こんなにも

美しく有り難いことが

日々脈々と繰り返されているなんて。

 

この世に生まれてきて

本当に良かったと思います。

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誰かに祝福される人生というのは

決して私に限った話ではありません。

 

全ての命が祝福されているからこそ

命のリレーは繋がり続けるのです。

 

今日は私の誕生日でしたが

同じ誕生日の人はたくさんいますし

毎日、誰かの誕生日です。

 

毎日、誰かの命が祝福されています。

 

今日はたくさんの方が

私の命にバトンを

渡してくださいました。

 

そして、

今日はたくさんの方が

私の命のバトンを

受け取ってくださいました。

 

「おめでとう」「ありがとう」と

命のリレーは今日も明日もずっとずっと

繋がり続けていくのです。