宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

ゆく年くる年

喪中につき

年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます

今年中賜りましたご厚情を深謝致しますと共に

明年も変らぬご交誼のほどお願い申し上げます

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晦日ですね。

 

今年は母の逝去や改元など

終わりと始まりを意識する

印象的な1年となりました。

 

年が明けると

数日後には私の誕生日なので

私にとって1月という月は

名実ともに1年の始まりなのですが

今回は「生まれ変わる」くらいの

大きなシフトを感じています。

 

人は常に細胞レベルから

死と再生を繰り返しています。

 

変わらないものなど何もない。

 

理屈ではわかっていても

失うことや変化することに対して

恐れや不安を抱くということも

命が「生きている」からこそであって…。

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こんな時はいつも

二河白道の譬え話を思い出します。

 

浄土真宗のご信徒さんなら

もしかしたら法話などで

耳にしたことがあるかもしれません。

 

私達は煩悩まみれの凡夫ではあるものの

今、受け難い人身を受け

更には聞き難い仏法の教えを

聞くことができたのだから

どんなに恐れや不安があろうとも

お釈迦様と阿弥陀様の勧めに従い

その一歩を踏み出すことが

大切なのだという教えです。

 

「そのまま行け、必ず救うぞ」と

両方からのお力かかっているから

間違いのない救いがそこにあるのです。

 

私はこの話が好きで

自分の転機には必ず思い返しています。

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信仰とはいったい何でしょう。

 

私自身は真言宗を宗旨として

仏教を信心してはいるものの

八百万の神も信じているし

カバラに学び、聖書も読みます。

 

どんな神話や聖典、経典も

表現やかたちを変えながら

手に取るもの、目に触れるもの

耳にするもの、その全てが

宇宙が私に与えてくれる叡智なのだと

信じているからです。

 

何が正しいとか、何が間違いだとか、

そういう人間都合の善悪を超えたところに

真理というものがあるのだとしたら

きっとどんな入り口であったとしても

たどり着くところは同じなのだと思うのです。

 

その中で

私が最も理解しやすかったのが

たまたま仏教というだけの話ですが

それにこだわることなく

多くの叡智に触れることで

ただひたすら「己を知る」ために

日々、宇宙の叡智を学ぶこと。

 

それが私にとっての「信仰」です。

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日没と同時に

今年の年神様がお帰りになりました。

 

来年の年神様は

日の出と共にいらっしゃるので

それまでの間をお守りくださる

御仲人の神様をお迎えしています。

 

喪中でも

神様は来てくれるのかな?なんて

余計な心配は不要でした(笑)

 

こうやって

神仏のご加護に感謝できることも

信仰による喜びのひとつですね。

 

喪中ではあるものの

既に忌明けはしているので

三が日が明けたら

氏神様のところに詣でて

来年の年神様とともに

お守りくださいますよう

祈念してこようと思います。

 

最後にこの1年の感謝を込めて。

どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。