宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

唯一無二のギフト

私は

好き嫌いなく

なんでもよく食べよく飲み

それをこなせる

丈夫な身体を持っています。

 

大病を患うこともなく

大きな怪我をすることもなく

毎朝目が覚め、毎晩眠れる。

 

他とコミュニケーションがとれるから

縁起により種を芽吹かせることもできるし

私という存在として表現することもできる。

 

これは

私の両親と

そこに連綿と繋がるご先祖様から

与えられたギフトです。

 

即ち、肉体というのは

宇宙から与えられた

唯一無二のギフトということになります。

 

この「仕様」だから成せること、

この「意匠」だから成せること、

唯一無二のこの肉体で

命を生かす、ということ。

 

ただそれだけのシンプルなことが

この世界を豊かにしていくのだと思います。

 

誰かのためにと躍起になることもなく

自分のためにと必死になることもなく

この世の悦楽を渇望して

死を恐れることもなく

あの世の安楽を美化して

生を嘆くこともなく

シンプルに己の存在を愛でること。

 

それは同時に

縁起による全ての存在を愛でることであり

感謝することであるとも言えます。

 

それこそが

自利利他なのではないでしょうか。

 

キャンドルの炎のごとく

己の命が灯火となり

己の周りを照らすように。

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折に触れて

このような話をする方がいました。

 

毎朝、目が覚めて

「今日もまた生きるのか…」と。

 

眠りのまま目が醒めることなく

逝けたらといいのにという期待が

毎朝裏切られる…。

 

確かに

無明の世を生きることは

苦しみに他なりません。

 

かつての私も

同じような気持ちを抱いていました。

 

何かから逃げたいと思うとき

死という得体の知れぬ甘い響きに

一縷の光を見るような錯覚と期待。

 

ふと当時の感覚を思い出すことがあります。

 

口癖のように

死を望む発言を

繰り返していたあの頃のことを。

 

今は

それすらも愛おしく感じていますが

今まさにそこに在る人にとっては

切実な思いです。

 

しかし、

 

たった一度しか与えられない

この肉体での人生です。

 

死は望まずとも必ずやってきます。

望んでも望まなくても

人間の肉体は

私の知る限り致死率100%だから

私はこの与えられたギフトを

生涯かけて愛し抜こうと決めました。

 

誰かのためにとか

自分のためにとか

理由は必要ありません。

 

豊かさは私のこの肉体に

豊かさはあなたのその肉体に

そこに全て備わっているのです。

 

今、苦しみの渦中に在る方が

朝目覚めた瞬間に

今日も命を生かせるという喜びを

心の底から

感じられるようになりますように…。

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今月も

長南町のSaiサロンさまへ

ヨガ・リトリートに

行くことができました。

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身体を感じ、身体に感謝し、

身体を愛でる貴重な時間。

 

思考優位な私にとっては

とても大切で必要な時間です。

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↑シンプルなアーサナですがハードです。

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↑爆睡中…ではなく、シャバアーサナ

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↑お腹も心も満たすベジフード。

 動物性不使用なのが信じられない

 コクも旨味もある美味しさ。

 

リトリート中もその後も

どんどん

今の自分に不要なものが

削ぎ落とされていく感覚になります。

 

重力があるはずの肉体が

どんどん軽くなっていく

何とも不思議な感覚です。

 

ナビゲーターの風戸さんが作る

地場空間の心地よさが

心身を解放へと誘います。

 

風戸さんのブログ、おすすめです。

精神世界についての深い考察など

興味深い記事が多いです。

 

また、ナーラーヨガに興味のある方は

風戸さんのサロン情報や予約方法、

開催しているワークショップについても

こちらのブログで確認できますよ。

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https://ameblo.jp/saikazato

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なんと今回のリトリートも

記事にしていただきました!

(お恥ずかしい…、でも嬉しい!)

 

命が肉体を通して私を表現すること。

 

この無上なる喜びを知り

頭と身体がじわじわと繋がっていく。

 

今はそんなプロセスの真っ只中です。