宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

人生の午後をどう生きるか

3年前の11月19日、

夫婦で長野の善光寺へ行った。

 

あの時、境内で観た鮮やかな紅葉を

私は生涯忘れることはないだろう。

 

当時、私は失意のどん底にいた。

 

人生の正午に観たあの紅葉の景色は

私に新たな人生を歩みだす勇気を与えてくれた。

 

彼らはまもなく枝から離れ土に還る。

 

生まれたときからずっとそこにいた

その枝から離れてしまうと

もう二度とそこに戻ることはない。

 

最後の時を迎える前に

彼らは精一杯色づいて

命を謳歌しているように感じた。

 

紅葉の美しさというのは

老いの美しさなのだと私は思う。

 

その美しさは

老いを受け入れ

さらにその先にある

死までも受け入れた

強さの証なのではないかと私は思う。

 

だから、

紅葉の美しさというのは

青年期の青々と茂る緑の美しさとは

まったく異なる感動がある。

 

あの日、

圧倒的な美しさを前にして

人間の人生も同じなのだと思った。

 

そうだとしたら、

私の人生も同じなのではないか。

 

あの日、

老いを受け入れ

死をも受け入れる勇気を

紅葉から学んだことを

私は生涯忘れることはないだろう。

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 心理学者ユングは人生を太陽の運行になぞらえ

「少年」「青年」「中年」「老人」と

4つの時期に区分しました。

 

そして「青年」から「中年」への転換期を

太陽の南中点に見たて

「人生の正午」という表現を使い

それが「危機の時期」でもあると指摘しました。

 

年齢域としては40代~50代です。

 

日の出から上昇し続けていた太陽も

南中点(正午)を過ぎると

日没に向かって下降していきますね。

 

そう、午後から日没までの時間は

太陽が上昇することは一切無いのです。

 

これを人生になぞらると、

「人生の午後」という時間は

自らの老いを受け入れ、

その先にある死を受け入れる時間となり

「人生の午前」に経験した価値と理想が転倒し

生き方や価値観の転換を余儀なくされるのです。

 

若さ(運動能力や体力、外観)への執着、

性(男らしさ、女らしさ)に対する執着、

これらを失うことへの恐怖と

実際に失いゆくことへの葛藤から

人生の変化を受け入れることができずに

深刻な問題を抱える人も少なくありません。

 

かく言う私も

人生の正午に深刻な問題を抱えた1人です。

 

しかしその経験から学び

今はとても豊かな人生の午後を生きています。

 

青年期に学んできたことが

ようやく生かせるようになったのも

人生の正午で深刻な問題を抱えたことで

転換を余儀なくされたからでもあります。

 

どんなに深刻な問題であったとしても

知識と取り組み方次第で

その問題は豊かさに変えられます。

 

そして、

人生の午後を豊かに生きる方法というのは

びっくりするような魔法を使うとか

特殊な能力が必要とか

特別なことは何ひとつありません。

 

誰にでもできることばかりです。 

 

大変ありがたいことに

それらを「学びたい」というご要望をいただき

私がこれまで学んできたことと

それらの実践から得てきたものを

来年からどんどん還元していく予定です。

 

リリースはもう少し先になりますが

楽しみに待っていてくださいね!!