情緒的な暮らし
玄関にお雛様を出しました。
このお雛様は
私が所有していたわけではなく
母からの贈り物(形見)です。
節句飾りを自ら行ったのは
親元を離れてから
おそらくはじめてのことだと思います。
母は
どんなに生活が厳しくとも
どんなに孤独を感じていても
季節の花や飾り物を欠かすことなく
情緒的な生活を続けていました。
一方で私は
やれ、効率だの、生産性だの、
目先のことで精一杯になり
そういった母の情緒的な行いに対し
「無駄なこと」だと一蹴し
常に母のことを否定的に見てきました。
母の遺品から沢山の日記帳が出てきました。
写真はほんの一部。
綺麗な字でびっしりと
書き綴られている日記から
母の日常を垣間見ることができます。
同居を解消し一人暮らしに戻った
2017年3月4日の日記には
雛人形を片付けたことが書いてあって
母は私が居ても居なくても
こんな風に節句飾りを
欠かしたことがなかったのだと知りました。
母は私に
もっと情緒的な生活を
して欲しかったのかもしれません。
仕事に追われ
常に疲れ切っている私に
少しでも心豊かな暮らしをさせたくて
母は精一杯やっていたのだと思うと
無駄なことばかりしていると
現実逃避ばかりしていると
効率が悪い、生産性がないと
母を揶揄していた自分が
あまりにも軽薄で恥じ入るばかりです。
今からでも遅くはないでしょう。
母の遺品から沢山のことを
学ばせてもらおうと思っています。
母を見習って飾ったお雛様。
華やかになった玄関は
春の訪れを知らせているようです。
肉体を離れてもなお
母の愛は健在です。