宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

悪縁切りと夢叶守

私的に利用している某SNSでは

「過去のこの日」というお知らせがあります。

 

ちょうど1年前の8月14日、

茨城県稲敷市にある大杉神社

悪縁切りのご祈祷に行っていました。

 

当時の私は

職場の人間関係に

行き詰まっていました。

 

職場における

性格の不一致なんていうのは

会社組織で働く以上

当たり前だと思っていましたが

そのような存在が

自分にとってここまで重篤な問題になるとは

予想だにしていないことでした。

 

逆に言えば

今までは人間関係に

恵まれていたということですね。

 

この時はすでに

藁にもすがる思いでした。

 

査定も下がり、結果も出せず、

いよいよ自律神経に

不調をきたすまでになっていましたから

おそらく人生初の

「本気の神頼み」でした。

 

この後、

異例の部署異動からはじまり

退職願の提出に至るまで

怒涛の半年が訪れることなど

この時の私は知る由もありません。

 

あんばさま、おそるべしです!!!

 

部署異動が決まった後に

お礼参りに行ったのですが

今になって振り返ると

その時点では

まだ終わっていなかったのかも?(笑)

 

「悪縁を切る」という響きには

相手方に問題があるようにも感じますが

実際には自分の問題なのかもしれません。

 

当時の私は自分の立場を守るために

人間関係だけを整理したかったのだけれど

結果的には会社とのご縁も切れてしまいました。

 

考えてもみたらば、です。

 

その会社で働くうえで

自分が有利になることを望んでいるから

性格の不一致が不都合なだけであって

その人たちの性格が

問題なわけではありません。

 

実際には

悪縁で彼らをつなぎとめていたのは

私自身かもしれないということです。

 

おかげさまで

当時、ご縁を切りたいと願った人たちとは

概ねご縁がなくなりました。

 

しかし

必要なご縁というのは

決して切れることはないんですね。

 

私が「悪縁」と思っていても

その関係に学びがあるならば

神仏はそうそう簡単に

ご縁を切ったはりしないのでしょう。

 

もし、

悪縁切りを考えている方がいたら

まずは我が身を振り返るところから

はじめるといいかもしれません。

 

その縁をしっかり握りしめているのは

もしかしたらあなた自身かもしれません。

 

実際、

悪縁切りのご祈祷の後というのは

嫌というほど

エゴと執着に身を焼かれ

自分の中にある影の部分も含め

そんな自分をいかに受け入れるかという

自分との闘いだったような気がします。

 

私自身の経験上、

心願成就までの道のりとしては

めちゃくちゃしんどかったです!(笑)

 

それから。

 

悪縁切りのご祈祷は

憎い相手を呪う儀式ではありません。

 

恨みつらみの念をもって

私の前から消え失せろ!!みたいな

強い怨念をもって臨むと

それはいずれ

我が身に還ってきます。

 

人を呪わば穴二つ、です。

 

悪縁で繋がっているがゆえに

互いの幸せを阻害しているのであれば

悪縁切りというのは

双方の幸せを願って行うご祈祷です。

 

ご縁が切れた後に

互いに良縁が訪れることを

願って行うご祈祷ですから

そこは気を付けてくださいね。

 

神様はちゃーんと観ていますからね!!

 

で、ここからは

悪縁切りの話ではないのですが…。

 

今年中に

もう一度あんばさまへ

お礼参りに行こうと思います。

 

まさかの結末を待たずに

悪縁切りのお礼参りに

行ってしまったからということではなく、

 

実は私、

夢叶守もいただいていたのです。

 

今度お礼参りに行くときには

これをお返ししてこようと思っています。

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今、この生活というのは

会社を辞めなければ実現しませんでした。

 

ある意味、夢が叶っている状態でもあるので

もしかしたら

こちらの効果だったのかもしれませんね。

 

いやぁ、悪縁切りにせよ、夢叶守にせよ、

びっくり仰天の顛末です。

 

…あんばさま、おそるべし!!!