宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

自分を疑う

子供の頃には

食べたり飲んだりできなかったものが

いつのまにか平気になっていた…。

 

大人になると

飲食の幅が広がりますね。

 

コーヒー、ビール、日本酒などは

平気どころか好きなになっているわけで

なんとも不思議です。

 

いつのまに平気になったのか?!

 

経験を重ねるうちに

徐々に変わっていったのでしょうが

子供の頃は確かに苦手だったはずです。

 

逆に

子供の頃はあんなに好きだったのに

今はちっとも

美味しいと思わないものもありますね。

 

数年前に駄菓子屋さんで

子供の頃によく食べていた

「ヨーグル」という駄菓子を見つけて

懐かしいからと買って食べたらみたら

衝撃的な味で驚きましたから。

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あれ?!こんな味だったっけ?!

 

うーん、

こんな味だったんでしょうね(笑)

 

知識や経験が増えると

世界はどんどん変化していきます。

 

しかし

記憶というのは

案外いい加減なものなので

大きな思い違いをしていることも。

 

駄菓子のヨーグルがいい例で

子供の頃はヨーグルト味と

信じて疑わなかったものが

大人になって食べてみたら

ヨーグルト味からは程遠かったように

固定化した記憶には

案外落とし穴があるように思います。

 

インターネットやSNSの普及により

他人の行いや意見を

強く否定したり攻撃したり

いわゆる炎上なんていう言葉が

一般的になりつつあります。

 

匿名性の高い投稿になればなるほど

その傾向は強いようですね。

 

よく言えば言論の自由だし、

自分の正当性や正義を

主張しやすい風潮とも言えますが…。

 

しかし、

主張そのものよりも枝葉を伸ばしている

攻撃的な言葉や

相手を卑下する言葉を目にすると

とても残念な気持ちになります。

 

せっかくの主張も

単なる感情論に終始しているようでは

ちょっと勿体ないですよね。

 

もしかしたら

自分の正しさが見ている世界よりも

もっと広い世界があるかもしれない。

 

もしかしたら

長年握りしめてきた正しさよりも

新しい正しさがあるのかもしれない。

 

人の話を聞くことは

自分自身を知る第一歩でもあるので…。

 

正義や意見は

100人いたら100通りあると思うし

諸行無常である以上

どんどん変化するものだと思います。

 

主張するのはかまわないけれど

自分の正しさ証明する前に

自分の正しさを疑う勇気を持つことって

案外大切なのかもしれませんね。

 

その方が新しい視点を得ることもあるし

自分の世界を広げるきっかけにもなるので

人生が豊かになるように思いますよ。