宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

自分仕様

私は注射が苦手です。

 

苦手というレベルではなく

もはや恐怖症と言っても

言い過ぎではありません。

 

健康診断など

採血が必要な場合には

必ずベッドで横になった状態で

採血してもらうようお願いしています。

 

何故なら、

過去に2度、椅子に座って採血中に

卒倒したことがあるからです。

 

健康上の問題(貧血)ではなく

恐怖のあまり気を失うんです。

 

冗談みたいですが

そういう人、本当にいるんですよ!!

 

ものごころついた頃から

出血を伴う怪我や

切ること刺すこと全般、

ちょっと常軌を逸脱していると

自分でも思うくらいの恐怖です。

 

何か原因があるのならば

是非とも知りたいものです!

 

今回、母の検査入院で

改めて納得してしまったのですが、

 

クリアできない課題は

与えられないとか

越えられない試練は

与えられないとか言いますが

これは本当なんだな、と。

 

母の受けた

心臓血管のカテーテル検査は

かなり辛い検査です。

 

もちろん

検査を受けるのは母なので

私が検査を恐れる必要は

全く無いのですが…。

 

言い様のない恐怖にうちひしがれながら

私はこんなことを考えていました。

 

私には耐えられないけれど

母には耐えられるからこそ

その現象が起きていて、

 

私には到底耐えられないから

彼女を通して

私に必要な体験として

与えられているのかもしれない。

 

だとしたら、

人生というのは何があっても必然で

尚且つ

何があっても大丈夫なんだろうな、と。

 

その現実に耐えられるからこそ

課題はクリアできるし

試練も越えられます。

 

耐えられるということは

どんな状況も現象も問題も

全ては完璧に「自分仕様」だからです。

 

自分で選べないと感じていても

与えられているもの全ては

まるでオーダーメイド。

 

あなたも私も

自分の範疇以上のことは

決して与えられないのです。

 

そう思えば

なんとかしようと思えるし

全ては本当になんとかなるのです。

 

全ては自分仕様だからこそ

最善を尽くせるんですね。

 

母の闘病をサポートすることで

改めて実感しました。

 

母が生きている現実というのは

私にはけっして耐えられないことの

集大成みたいなものなので

 

彼女のおかげで

我が身を以って体験せずに済んだのならば

我が身を以って体験していることというのは

もしかしたら、

誰かの「耐えられない」ことを

サポートしているのかもしれません。

 

だから、

できることに最善を尽くすことで

余計なことをする必要も

自ずとなくなるんですね。

 

いつのまにか昨日のブログにも

通ずる内容になりました。

 

私にとって

今、よほどに必要なことなのかも?!

 

全ての命に意味があり

縁起の網の目で繋がっているからこそ

自分仕様の人生を

生きることができるのです。

 

これ、本当にありがたいことですね。

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