宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

かわいいひと

最近、

メディアは訃報続きですが

昨日は朝丘雪路さんの

追悼番組を見ていました。

 

雪路さんのことは

女優さんということくらいしか

存じ上げていなかったのですが

とてもかわいいひとだったんですね。

 

天真爛漫で

少女のように純粋。

 

けれど

とても芯の強い方。

 

すごく素敵だなぁと思いました。

 

心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

報道を通し

雪路さんのことを知るにつれて

なんとなく

母のことを思い出していました。

 

母は良くも悪くも

少女のようなひとです。

 

自分の母親を

雪路さんのような大スターに重ねるのは

おこがましい話かもしれませんが

どことなく雰囲気が似ているのです。

 

私が幼いころに

母は大病をしたので

母に甘えることが

何か悪いことのように

思っていました。

 

病気の母が

心配するようなことをしたり

手を煩わせてはいけない。 

 

そんな風に思っていました。

 

なので、

幼少期は大変聞き分けの良い

子供だったようです。

 

高校卒業後には親もとを離れ

それからずっと

別々に暮らしていたのですが

父の他界後、

病気を抱えて一人暮らしをしている母が

経済的にかなり追い込まれているという

事実を突きつけられました。

 

自営業だったので

サラリーマンの家庭とは

ずいぶん異なる金銭感覚でしたから

年金生活になっても

その感覚が抜けなかったのだと思います。

 

もはや生活保護しか道がないとなったとき

私自身が経済的に安定してきたこともあり

一念発起し母と同居をはじめます。

 

ところが、

日々の生活の中で

母の少女ような振る舞いやものの考え方が

許せない自分に気付きます。

 

とにかく

母のやる事なす事気に入らない。

話しかけられるとゾッとする。

 

私の都合を考慮することなく

何かを頼まれたりするときなどは

怒りすらおぼえる始末です。

 

私はずっと我慢してきたのに、と。

 

いつしか私は

母の前で一切笑えなくなっていました。

 

ある日、

母から同居の解消を提案されます。

 

おそらく母にしてみたら

私が不機嫌な対応しかできない姿も

日に日にやつれていく姿も

見るに耐えなかったのだと思います。

 

愛する我が子を一番に考えた

苦渋の決断だったのでしょう。

 

そんなこんなで

母と距離を置くようになってから

早いもので1年半を迎えようとしています。

 

当時とは状況も変わり

私は会社を辞めたことにより

生活の大部分を

夫に頼ることになりました。

 

今までは

お金を稼ぐことが私の価値であり

自分のお金で何をしようと

文句を言われる筋合いは無い!

…それくらいの気持ちで過ごしていました。

 

母に対しても

私が養っているのだから…という

奢りの気持ちもありました。

 

何事も自力で解決するのが

当たり前だと思っていて

人にお願いしたり

人に頼ったり

人にお任せすることは

ほとんど無かったので

それがまるで当たり前のことのように

振る舞っている母を見るたびに

努力が足りない

考えが甘いと

いちいち嫌な気分になっていました。

 

けれど

本当は羨ましかったのだと思います。

 

本来の私にも

そういう性質があるからこそ

押し込めることなく出している母が

ものすごく羨ましかったのだと思います。

 

自分ばかりが

損な役回りをしていると

常々不満を抱いていたからこそ

母の振る舞いに対して

いちいち腹を立てていたのだと思います。

 

今、私が自力でできることといえば

当時の私からみたら

ものすごくちっぽけなことです。

 

けれど

当時には得られなかった

感謝や笑顔が手に入ります。

 

お金を稼ぐことよりも

大切なことがあるということを

身を以て感じました。

 

決まった収入が

無くなったにもかかわらず

人にお願いしたり

人に頼ったり

人にお任せした方が

経済的な面でも

うまく廻るようになりました。

 

不思議なことに

お金の方から勝手に来てくれるのです。

 

但し、必要な分だけですけれどね(笑)

 

私自身が本当の意味での

感謝を知ったからかもしれません。

 

雪路さんを見て

素直に素敵だなと思えたのも

今だからかもしれませんね。

 

そして、

雪路さんと重なった母に対して

嫌悪感どころか

素直に「かわいいひと」だなぁと

感じることができました。

 

それはきっと

私も人に甘えていいんだ、という

自分への許可を

出した瞬間だったのかもしれません。

 

しっかりしたひと、や

たよりになるひと、よりも

 

私は

かわいいひと、でありたい。

 

そんな思いがこみ上げてきて

心がじんわりとあたたかくなりました。

 

その後、早速、

仕事から帰宅した夫に

朝丘雪路さんの話をしました。

 

私もこれからは雪路さんみたいに

歳を重ねたいなぁと言ったらば

 

「え?前から似たようなもんじゃない?」

 

…って、

え、そうなの?!

 

私、そんなにお嬢様キャラでも

天然ちゃんでもないんだけれど…。

 

そう言って

不服そうにしている私に

彼がピシッとひとこと。

 

「大丈夫、相当とぼけてるよ、きみ。

        別に、そのままでいいんじゃない?」

 

ガーーーンッ!!!(涙)

 

出来る女と思っていたのは

どうやら

私だけだったのかもしれませんね(笑)

 

自分にとって

嫌だな、と感じる存在というのは

自分自身にも種があると言われています。

 

あり得ない!と思っていても

気になるというのは

それが自分の中にある証拠です。

 

ちなみに、

好きな人、憧れの人というのも

同じ原理です。

 

その種を

どのように発芽させて育てるかは

自分次第。

 

母に教えてもらった

わたしの種。

 

これから大切に育てて

かわいい花を咲かせたいと思います。

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