宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

家を守る

世の中には

お金で買える贅沢が

山のようにあります。

 

娯楽や旅行の類いもそうですし

コレクションや趣向品の数々も

お金で買える贅沢の部類でしょうね。

 

大人になって

ある程度の金銭的な自由度が出てくると

それぞれが身の丈に合わせた

贅沢というのを経験するわけですが

これ本当にキリがない、と思います。

 

私も収集癖があるし

夫も収集癖があるので

我が家は物で溢れているのですが

これは本当にキリがない(笑)

 

物欲ってすごい力です。

 

ただ、

40代になってから

ちょっとやり尽くした感が出てきました。

 

もちろん、ゼロではありませんよ。

 

単に、

贅沢の方向性が

変わったのかもしれません。

 

今は

家で何もせずにじっとしていたり

寝たい時に寝て

食べたい時に食べている

この瞬間、瞬間が非常に贅沢です。

 

この、

非生産的な状態にこそ

この上ない贅沢を感じてしまう。

 

しかし、

これは行き過ぎると

引きこもりになってしまいそうです。

 

お金のかからない贅沢に見えて

最もお金のかかる贅沢かもしれません(笑)

 

物質的には

何も生み出していないわけですからね。

まさに消費する一方!!

贅沢すぎる事極まりない!!!

 

…というのは

長年、サラリーマンをしてきたからこそ

感じていることなのかもしれませんね。

 

うちは子供がいないので

リアルな体験を語ることはできません。

 

けれど、

 

おうちにお母さんが常にいる安心感、

これって

ものすごい贅沢なことだと思います。

 

お母さんに限らず

その家を守る存在が常駐していることは

現代社会において

ものすごい贅沢なことです。

 

今の日本では

女性もどんどん社会進出して

総労働社会みたいなのを推進していますが

そもそも社会進出だけが

国民的生産性の向上でしょうか?

 

ひとまず、

経済的な話は抜きにして…。

 

家を守る神さまの常駐は大切です。

 

家は

住む人がいるから

家として存在しています。

 

住む人が居ない家は

単なる人工的な建造物でしかありません。

 

物質は機能や役割を与えられた瞬間に

存在することができるので

家とは機能や役割を与えられた

存在ということになります。

 

人が安心して過ごせるのは

それが「家」だからです。

 

例えば旅行の場合、

旅館やホテルでのひと時は

至れり尽くせりで

ずーっとここに居たいという

気分にもなりますが

家に帰った途端にホッとする、

こんな経験のある方は多いと思います。

 

これは

家に神さまがいる証拠だと

私はとらえています。

 

もちろん、

住み慣れているからというのは

大きな要因ではありますが

神さまのいる家というのは

古かろうが新しかろうが

持ち家だろうが賃貸だろうが

それはあまり関係ありません。

 

頻繁に引っ越しをするお宅でも

どこに住んでいても

居心地が変わらないお宅ってありますから。

 

そういうお宅には

ちゃんと家の神さまがいらっしゃいます。

 

家の神さまがいらっしゃるお宅には

必ず家を守っている人の存在があります。

 

日本では古来から

女性(妻、母親)が担ってきたこともあり

奥さんのことを「かみさん」と言ったり

お母さんの語源が

かかさま←かみさま←神さま

なんていう説もあるくらいです。

 

そもそも

天照大神も女性神であることから

日本では古来から

そういう位置付けがあるのかもしれません。

 

そういう尊さを忘れて

お金を稼ぐことだけが立派なことで

お金を稼げないものは弱者みたいな思想が

男尊女卑的な思想にも繋がって

だったらみんなで社会進出して

お金を稼ごう!みたいな

流れになったのかな?と。

 

…政治のことは疎いのですが

最近はハラスメント系の報道が

多いということもあり

女性の社会進出について

こんな風に考えてみました。

 

私自身も

今の生産性がない状況に対して

まったく不安がないわけでもなく

サラリーマン時代には

「女だからって馬鹿にするなよ!」と

猛々しく息巻いて

男勝りに働いていたことは事実です。

 

しかし

今、かつてないほど

家事をこなしているのですが(笑)

最近になって、

あ、うちにも神さまがいらっしゃる!!

 

…という実感がわいてきました。

 

いや、本当に今更で

恥ずかしいくらいです(笑)

 

神棚も祭壇もあるんですけれどね

苦節十うん年、ようやく感じるって(汗)

 

それくらい

自我も概念も強いってことです。

 

神さまの存在を感じると

家の居心地が

格段に良くなっていることに

気が付きます。

 

家の居心地が良くなると

いいことがどんどん増えてきます。

 

今までは

物欲のままに

あれこれ手に入れてきたけれど

その必要がないことも

だんだんわかってきます。

 

本当に必要なものだけを

手にするようになってきます。

 

人間ですから

物欲というのは尽きることがありません。

 

故に

経済至上主義であることが

終わりのない無間地獄のようにも感じます。

 

生きていくためにはお金も必要ですが

直接的な収入以前に

生産性の本質に

注目してみることも必要かもしれません。

 

私の言動が

この世界にどんな影響を及ぼしているのか。

 

いくら稼げるのか、ではなく

今あるお金や時間を

どうやって使うのか、です。

 

消費というよりも

投資に近い考え方かもしれませんね。

 

話が拡散してしまいましたが

住まいというのは

なかなかどうして大切なものです。

 

どんなに贅を尽くした場所であっても

そこに神さまが不在では

居心地は良くなりません。

 

ものの良し悪しは

どれだけお金をかけたかではなく

どれだけエネルギーを費やしたかだと思います。

 

もちろん、

お金もエネルギーではありますが

お金に変換せずとも

かけられるエネルギーというのは

確かに存在しています。

 

例えば、家事もそのひとつですね。

 

家を守ることは

安定した生活の第一歩かもしれません。

 

家族がいても、いなくても、

自分の家をしっかり守ること、

 

また、

家を守ってくれる人の存在に

感謝することはとても大切だと思います。

 

もし、自分自身が

家を守っている当事者であるならば

そんな自分にちゃんと感謝するんです。

 

そして

家を守ることを任せてもらえたことに

ちゃんと感謝するんです。

 

感謝は必ず

エネルギーを循環させますから。

 

どうして、私ばかりが、

こんな大変な思いをするの?!

 

…と感じるようなことがあれば

まずは

それを任されていることに

感謝してみるといいかもしれません。

 

そうしているうちに

家の神さまは必ずやってくるので

どんどん居心地が良くなると思いますよ。

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