宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

あきらめる

私の世界は私が創造している。

 

とはいえ、

 

私という個は

縁起の中でしか存在し得ないので

私の選択、言動というのは

宇宙全体に影響している。

 

…と、

いきなりとてつもない話から

スタートしましたが(笑)

 

数日前、

諦めることがありまして。

 

いや、

私の人生において特にここ数年は

とにかく諦めることばかりで(笑)

 

この、諦めることが

私の人生において

延いては私を私足らしめている

全体性(宇宙)において

いったいどんな作用をしているのかを

観察してみたくなったもので。

 

まず、

諦めるって言葉を調べてみました。

 

日本語の「諦める」って

放棄や断念、志半ば…みたいな

マイナスイメージが強いと思います。

 

諦めないで頑張ろう!…とか

よく言いますものね。

 

ただ、

そもそもの「諦」という字、

漢和辞典なんかを見ると

いいことばかり書いてあります(笑)

 

つまびらかにする。

いろいろ観察をまとめて、

真相をはっきりさせる。

まこと。

 

どうやら、

ものごとを明らかにする、

みたいな感じですよね。

 

実際の語源としても

「諦める」と「明らか」は

同源なのだそうです。

 

おやおや、

やめるとか中断するとか

そついうニュアンスは

語源的には無いんですね。

 

しかも、諦って

仏教ではsatya(サティア)の訳語として、

真実、真理、悟りを意味する言葉だそうです!

 

確かに、

仏教が説く基本的な真理について

四諦とか四聖諦って言いますし。

 

なんだ?

 

こうなると「諦める」ことって

ぜんぜんネガティブじゃないですね。

 

おそらく、

ものごとを明らかにすることなく

中断したり放棄したりすることまでもを

諦めるって言葉で表現しているから

今はそっちの方が

日本語的にはメインになっているのかも?

 

語源からすると

「諦めるな!」っていうのは

明らかにするな!ってことだから

なんだかうやむやなままになりそうで

違和感たっぷりです。

 

これは、あくまでも推測ですが…。

 

まだ、ものごとが

明らかになってもいないのに

早々に諦めたつもりになってはいかん!!

 

…これが

諦めるな!!の始まりなのかな?と。

 

うーん、日本語難しい…(苦笑)

 

言語って生き物だから

時代の変遷とともに

変化していくものですしね。

 

諦める、という言葉が

実はポジティブなのでは?

…というのを踏まえつつ。

 

実は今日、

尊敬する先生のセミナーがあります。

 

大変人気のセミナーにもかかわらず

運良く告知のタイミングで

申し込むことができました。

 

その後、

セミナーは既に満席にもかかわらず

キャンセル待ちの方の申し込みが

どんどん増えていきました。

 

私、本当に運が良かったなぁ!と。

 

ところが、

5月のスケジュールを調整する段階で

その日が都合悪いことに気が付きます。

 

悩みました。

 

そりゃそうですよ、

キャンセル待ちが出るほどの

人気セミナーです。

 

自分の成長のためにも

ここは死守したいところです。

 

縁起の中の私という存在を

できる限り視座を高く持って見つめなおし

改めて自分の思考を整理しました。

 

結果、

私はセミナーへの参加を諦めるのですが

このキャンセルという行為が

思いのほか勇気のいることでした。

 

執着心の強いことといったら極まりなく。

 

諦めようと決めてから

キャンセルの連絡をするまで

ずいぶんモタモタしてしまいました。

 

でも、キャンセルをした途端に

ものすごく解放された気持ちになり

やはり必要なことだったなと実感。

 

私のキャンセルにより

繰り上げで参加できる

キャンセル待ちの方がいます。

 

その方にしてみたら

どれだけ待ち望んだ瞬間だったでしょう。

 

そして私自身にとっても

単なる執着心からセミナーを受講しても

それを自身の成長や社会に役立てることは

難しかったのかもしれません。

 

私を必要とする場に身を置くことで

キャンセル待ちの方にも

私の行くべき場にも貢献できるなら

それが一番の社会貢献ではないか。

 

視座を高く持って見つめなおしたとき

私の執着心の裏には

優越感や劣等感がありました。

 

人気のセミナーに参加できるという

選民意識みたいなものであるとか

人に遅れをとることへの恐怖であるとか

それを受けていないと

周りに認めてもらえないのではという

不安であるとか…。

 

いつのまにか

学びに対する軸が

ぶれていることにも

気が付きました。

 

そもそも、

どうしても受けたいなら

こんなに迷わないはずです。

それが本当に必要なことであれば

是が非でもスケジュールを調整するはず。

 

今まではそうしてきましたから。

 

おそらく

その先生のセミナーを受け続けることで

安心したかったのかもしれません。

 

宗教的熱狂とまでは言わないけれど

それくらいカリスマ性のある先生なので

この人のセミナーにさえ参加していれば

間違いない、みたいな

感覚になっていたのは事実。

 

しかし、

セミナーは手段であって

それが目的ではない、ということです。

 

今の私は

セミナーが目的になっていて

本当に必要なことを

ちっともやっていないことに気がつきます。

 

自分の内面が明らかになったことで

私は今回のセミナーの受講を

諦めることができました。

 

最後の最後まで

執着心に苦しみましたが

キャンセルして本当に良かったです。

 

本当に必要であるならば

いずれ機会は訪れると信じています。

 

全ては縁起によるものなので。

 

明らかにして諦めることは

決してネガティブなことではありません。

 

もし、

過去に何かを諦めた経験が

罪悪感として

心のシコリになっているのであれば

視座を高く持って

見つめなおしてみると

いいかもしれません。

 

過去の事象は変えられませんが

明らかになっていないことが

苦しみの元ならば

それを明らかにすることで

心は楽になるものです。

 

尚且つ

それを今ここで行うようになれば

日々、抜苦与楽の実践となり

過去にシコリを残さずに済みます。

 

諦めること。

 

それは闇雲に逃げ回ることではなく

明らかにして手放すこと。

 

抜苦与楽の鍵にもなりそうですね。

 

今流行りの断捨離とかも

単に物を捨てることが目的ではなく

「諦める力」を高める

手段のひとつなのかもしれません。

 

物を大切にしているからこそ

本当の意味で断捨離ができる。

 

ポイポイ捨てることだけに

フォーカスしていたら

ちょっともったいないのかもしれません。

 

諦めるってことについて

ちょっとイメージが変わってきませんか?

 

手放せるものは

案外たくさんあるものです。

 

それを手放すことで

身軽になったり

新しいものが入ってきたり

世界はどんどん変わってゆきます。

 

もし、

うまくいかない、前に進めない、

などと感じているならば

諦めない!と力んでいる

その力をちょっと抜くだけでも

明らかになることはあります。

 

目を閉じて、胸を開いて、

下腹部に重心を置いたら

大きく深呼吸。

 

ほんの数分繰り返すだけでも

迷いの霧は薄くなります。

 

思考を落ち着かせることは

ものごとを明らかにする第一歩です。

 

一旦、思考をリセットしたら

改めて自分の思いを見直します。

 

思うように進めない時は

目的と手段が逆転若しくは

ごちゃまぜになっているかもしれません。

 

または

手段を見直す必要があるかもしれません。

 

手段を変えることは

決して投げ出すことや

逃げることではありません。

 

その手段を手放すことで

新しい手段を手に入れればいいのです。

 

そうすれば

目的はいつか必ず達成します。

 

もちろん、

目的そのものを

見直すこともあるでしょう。

 

いずれにせよ

明らかにして手放すのであれば

それはとてもポジティブな出来事です。

 

人生を豊かに創造するためには

諦める力も必要なのだと思います。

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