宇宙に恋して

こころの声を紡ぎながら、目に見えない世界を探求しています。

最善のタイミング

どんなに調整していても

変更を余儀なくされたり

どんなに望んでいても

状況が整わなかったり

頑張っているのに

ぜんぜん結果に結びつかなかったり…

 

そんなことばかりが

やたらと続いている時であっても

それがその時の最善であると

私は思っています。

 

欲するものごとが

思いどおりに手に入る時には

感謝や幸運を素直に感じられるけれど

欲しているのに

思い通りにならない時には

それを不運ととらえがちです。

 

しかし、どっちにしても

それがその時の最善、と思うのです。

 

そんな話をすると

私は常にポジティブシンキングです!

思い通りにならなくてもラッキー!…みたいな

(ちょっと大袈裟に言い過ぎかな?)

イメージに繋がる方もいらっしゃるかもしれませんが

決してそういうわけではありません。

 

思い通りにならないときは

やっぱり不運だな、嫌だな、と思うし

ネガティブな気分にもなります。

 

無理矢理ポジティブにすり替えるのではなく

不運だな、嫌だな、という状態が

その時の最善であり

そういうタイミングなのだと

まるっと受け入れてしまうんですね。

 

今はネガティブな状態を

存分に味わうタイミングで

それが自分にとって最善だ、と

とらえているのです。

 

思い通りになっていても

思い通りになっていなくても

現象というのは

縁起により顕現しているので

その結果には必ず原因があります。

 

思い通りにならなかったときは

自分のアルゴリズムを見直すタイミング。

 

アルゴリズムを見直すといっても

私は数学がトラウマ級に苦手なので(笑)

数式を並べて

難しい計算をしているわけではなく

単純にプロセスを見直す、くらいですが…。

 

これが案外大切な作業だったりします。

 

人は

過去の体験を基盤として

刺激に対して反応しています。

 

反応には意思が無いので

それが直接行動に結びついている場合は

自動的に同じやり方を繰り返します。

 

癖なんかがいい例ですね。

 

というより、

実際にはほとんどが癖なのかもしれません。

 

たとえ行動が自動的であっても

それが思い通りな状況下であったり

不都合が生じていなければ

気にもならないことなのですが

実はこの自動的な状態こそが

苦しみの種なんですね。

 

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仏教では

生きることは苦しみだ、なんていう

割と絶望的なところからスタートします(笑)

 

この、

自動的に生きている状態こそが

無知や無明の状態という感じですね。

 

…かなりざっくりではありますが。

 

この、

自動的な状態を

意識的な状態に変えてゆくことが

苦の消滅へと繋がってゆくことになります。

 

お釈迦様が説いた「仏教」の世界は

苦を消滅させるアルゴリズムを提示している、

とでもいいましょうか。

 

そんなわけで

感情の赴くままに

気分に左右されるがままに

自動的に行動し続けている状態では

思いどおりになっていようといまいと

都合がよかろうとわるかろうと

そもそも苦しみである、ということになります。

 

思いどおりになって

自分に都合のよいことばかりがあると

それが手に入らなくなったときに

苦しくなってしまいますからね。

 

思いどおりの状況を

自動的に渇望してしまうので

うまくいかないことに強く反応してしまうから

もうそれだけで十分苦しいです。

 

でも、哀しいかな、

人間は苦しい!とでもならなければ

自分のアルゴリズムを見直そうなんて

そう簡単には思えないものです。

 

だから、

ネガティブな状態も最善、

ということに行き着いたわけです。

 

意識的に生きることは

頭で理解していても

実践するのは難しいものです。

 

なんせ、人間の選択って

とにかく全自動に近いですから。

 

いやいや、ちゃんと選んでるよ!

…って言いたくなりますが

それは単に自分が都合よく感じる選択を

過去の体験を参照して

自動的に選んでいるだけであって

刺激に対する反応が

直接行動へと結びついている場合がほとんど。

 

ありのままに見る、とらえる、ことは

この「反応」があるからこそ

難しいのかもしれません。

 

反応は感覚であり、感情であり、

私達の快、不快であり、

切っても切り離せないものだから

厄介なんでしょうね。

 

宗教、という側面はあれど

仏教で説かれていることは

自分のアルゴリズムを見直す時に

とても役に立つ智恵が満載だと思います。

 

私とは切り離された個ではなく

全体性の一因であると

頭ではわかったつもりでいても

まるで我が家の洗濯機のように

私は私というアルゴリズムによって

ほぼ全自動で生きています。

 

だからこそ、

現象は常に最善のタイミングでおきている、と

意識的にとらえることにより

日々、自分の反応を見直しているのです。

 

また、

反応を見直す手段のひとつとして

私は瞑想を実践しています。

 

刺激に対する反応は消滅しませんが

瞑想による静寂の体感は

反応と行動の狭間を知るうえで

狭間の具体的な体験に繋がってゆきます。

 

要するに、

刺激に対する反応から

自動的に行動していたものを

反応から行動に移る前に

意識的に行動を選択するためにも

反応と行動の狭間にある状態が

どのようなものなのかを

感覚的に知る必要があります。

 

日々の瞑想により静寂の体感を

繰り返し身体に覚えさせると

いざ刺激が入って来た時に

その感覚(静寂)を再現できるようになります。

 

反応から静寂を再現することができれば

行動に移る前に意識的な選択へと

繋げることが可能になります。

 

もちろん、

一朝一夕にはいかないので

続けることが大切ですね。

 

静かに座って呼吸に集中するだけでも

毎日続けているうちに

身体はその感覚を覚えてくれるものなので

まずは1日10分から

日常に瞑想を取り入れてみませんか?

 

その新しい習慣は

きっと大きな違いを生み出します。

 

あなたにとって

最善のタイミングがあるはずです。

 

そのタイミングがきたら、是非!

瞑想を実践してみてくださいね。

 

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